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日本画 伊藤深水

伊藤深水

 日本画家の伊藤深水(いとうしんすい)は1898年(明治41年)に東京深川に生まれた美人画家ですが、その作風は江戸時代の浮世絵の伝統を受け継いだ最後の美人画家といわれ、存命中から大変な人気を博しました。生まれた後に伊藤家へ養子に出されたのですが、不幸にも養父の事業が破綻し、小学校を中退し幼くして印刷所の活版工として働くことになってしまったのですが、12歳のころにたまたま第10回巽画会展で見た速水御舟の美人画「小春」に心を奪われてしまったことが彼の人生を決定づけたのでした。12歳の少年にとって「小春」はあまりに艶やかで、あたかも初恋に堕ちたがごとく彼の心を捕らえて離さなかったのでしょう。速水御舟のような美人画を描きたい一心で鏑木清方の下へ入門、以後日中の仕事を終えてから夜学に通い、帰宅してからは美人画を習うという厳しい生活環境の中で画才を育んでいきました。こうした努力は見事に結実し、3年後に日本美術院再興記念展覧会(第1回院展)で「桟敷の女」が入選、続いて翌年には第9回文展(文部省美術展覧会、現・日本美術展覧会=日展)で「十六の女」が初入選を果たしました。以後も数々の賞を得て、一躍時代の寵児となっていくのです。その人気ぶりはすさまじく、彼をして美人画以外の学習をする時間さえも許されないほどでありました。
 やがて師の鏑木清方から挿絵の仕事を引き継ぎ、生活の基盤を得て結婚し、子供にも恵まれて平穏無事な人生を過ごしました。しかしその一方でモデルとなる女性達との間に浮名を流すことが多かったのは美人画家故の宿命でしょうか。料亭「勝田」の女将・勝田麻起子との不倫の結果生まれたのが女優の朝岡雪路であるのは万人の知るところとなりました。雪路を溺愛した深水は、54歳の頃に「夢多き頃」と題して娘の雪路を中心において女学友に囲まれて何事かを話している様子を描き遺しています。数人の女性達の個性を一つの画面の中で描き分ける描法は伊藤深水独特のもので、女性というものの清らかな美しさを表現しています。生涯にわたって女性の美を描き続けたましたが、1972年に逝去、享年74歳でした。

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